坂東三十三観音巡礼


HOME          巡礼のページ

 
 西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、やがて札所が形成されていったと言われている。巡礼は、鎌倉幕府の将軍家の深い観音信仰にあったといわれている。

 西国三十三観音霊場と坂東三十三観音霊場に秩父三十四観音霊場を加えて日本百観音霊場といわれ今日に至っている。
 近畿地方に在住の折、西国三十三観音巡礼を経験し、東京転勤を契機に坂東三十三観音巡礼を始めることとした。札所の順番に拘ることなく回ることとしたが、発願の寺と結願のお寺を最初と最後にしようと思う。なるべく歩くことを重視し、電車バスと徒歩で巡礼の途中である

山号 寺院名 参拝日 山号 寺院名 参拝日
1 大蔵山 杉本寺 平成16年 3月 4日 18 日光山 中禅寺 平成17年12月24日
2 海雲山 岩殿寺 平成16年 3月 4日 19 天開山 大谷寺 平成16年 8月14日
3 祗園山 安養院 平成16年11月13日 20 独鈷山 西明寺 平成16年 8月14日
4 海光山 長谷寺 平成16年11月13日 21 八溝山 日輪寺   
5 飯泉山 勝福寺 平成16年 3月 6日 22 妙福山 佐竹寺 平成17年 4月 2日
6 飯上山 長谷寺 平成16年10月02日 23 佐白山 観世音寺 平成17年 3月13日
7 金目山 光明寺 平成16年 4月11日 24 雨引山 楽法寺 平成17年 3月13日
8 妙法山 星谷寺 平成16年 4月11日 25 筑波山 大御堂 平成17年 3月 5日
9 都幾山 慈光寺 平成16年 6月26日 26 南明山 清瀧寺 平成17年 3月26日
10 巌殿山 正法寺 平成16年 4月 3日 27 飯沼山 円福寺 平成16年 3月21日
11 岩殿山 安楽寺 平成16年 4月 3日 28 滑河山 龍正院 平成16年 3月21日
12 華林山 慈恩寺 平成16年10月16日 29 海上山 千葉寺 平成16年 7月23日
13 金龍山 浅草寺 平成16年10月16日 30 平野山 高蔵寺 平成16年 7月31日
14 瑞応山 弘明寺 平成16年 9月23日 31 大悲山 笠森寺 平成16年 7月31日
15 白岩山 長谷寺 平成16年 7月24日 32 音羽山 清水寺   
16 五徳山 水澤寺 平成16年 7月24日 33 補陀洛山 那古寺   
17 出流山 満願寺 平成16年 8月 7日

第一番 大蔵山 杉本寺                            TOP

 平成16年3月6日(土)坂東三十三寺札所の打ち始めとして1番札所「杉本寺」からスタートした。前日は雨の天気予報だったが、風は強いが快晴となった。8:00東京都内の自宅を出発し、9:40にはJR鎌倉駅に着いた。途中、鶴岡八幡宮を参拝し、10:00には、杉本寺に到着した。
 鶴岡八幡宮の参道は見事な桜並木で春の桜の季節に来たいものだ。杉本寺は、参拝者が少なく静かな境内であった。茅葺き屋根の観音堂が印象的で、小さいながらも重厚な雰囲気が漂う。外から見た本殿は小さく感じたが、中に入ると広々とした空間を感じた。観音堂の奥に仏像が見えた。暗いせいか光背が浮き出るように見えた。
 杉本寺は、鎌倉最古の寺とされている。天平6年(734)行基が自ら刻んだ十一面観音を安置したのが寺の始まりということだ。今は、国の重要文化財に指定されている。
 納経帳には、「十一面大悲殿」と書かれていた。西国三十三所で頂いた散華はなかった。散華は、ご開帳の時に配るもので、杉本寺では、昨年馬年に配ったようだ。12年に一回である。坂東では、散華はない。地方によって異なるようだ。

境 内

観音堂

御朱印

鶴岡八幡宮

第二番 海雲山 岩殿寺                            TOP

 平成16年3月6日(土)11:10杉本寺を出て岩殿寺に向かった。歩いて50分程と聞き歩き始め、12:05に岩殿寺に到着した。道中は、交通量が歩く、快適な散策とはいかなかった。
 この辺りの桜も立派で、4月は見事な風景になると思う。150段の石段がある。境内には誰もいなく静かである。風に樹木のざわめきのみが聞こえる。
 観音堂の裏手に回ると岩窟の奥の院があった。岩殿寺の由来は、岩をくり抜いたこのお堂から来ているようだ。13:10歩いてJR逗子駅に向かった。

山 門

境 内

観音堂

奥の院

御朱印

第五番 飯泉山 勝福寺                           TOP

平成16年3月6日(土)13:10岩殿寺から歩いてJR逗子駅に向かい、JRに乗り、大船で乗り換え、14:40鴨宮駅に到着した。3番、4番札所は桜の季節に残し、5番札所勝福寺を先に回ることにした。この日は、青春18切符で回っている。便利な切符である。15:20には5番札所勝福寺に到着した。御手洗いには、鳥樞沙摩明王(うさまみょうおう)が祀ってあった。お寺の周囲には、梅林があり、もう少し早い時期であれば、香りを楽しめたことだろう。荘厳な山門がある。山門の前にバス停があったが、当日は、JR鴨宮駅から40分をかけて歩いた。お寺の伽藍は大きく、広々としている。観音堂は、宝永3年(1706年)に再建された立派な大堂である。そして、観音堂の前には「二宮金次郎の発願の像」がある。二宮金次郎が14歳のとき、このお堂の前で聞いたお経に感じ入ったと伝えられている。のお寺も参拝の人はいない。境内には大銀杏がり、秋もまた良いのかと思った。樹齢2,000年、幹の太さ14m、高さ45mの大樹である。「かながわ名木100選」にも選ばれている。境内は名所というより、昔ながらの子供が遊びまわった雰囲気の場所のような懐かしさを感じる雰囲気である。懐かしさ、癒しの趣を感じ、暫し、佇んでいた。15:50下山、JR小田原駅に向かって歩き、16:40には小田原駅に到着した。小田原駅前には、梅干を売る店が多かった。道中、梅林も多く、この地の名物かと思う。

 山門の仁王像に曽我兄弟が
仇討成功を祈願したという。

境 内


 観音堂の前にある二宮金次
郎発願の像

境内の大銀杏


御朱印

第二十七番 飯沼山 圓福                         TOP

 平成16年3月21日(日)7時過ぎに東京を出て、千葉を経由し、総武本線で銚子に向かった。千葉駅ではテロ対策か、多くの警察官が立哨していた。通りがかりの老女が駅員のように行き先を聞いていた。警察官も分らぬようで一緒になって行き先表示を探していた。日本の平和な光景が微笑ましい。
 10:15銚子駅到着。三月も終わりなのに寒い日だった。銚子市は、圓福寺の門前に栄えた町である。銚子電鉄もあるが、銚子駅から歩くこととした。
 11時には圓福寺に着いた。まず、朱塗りの荘厳な仁王門が目についた。そこをくぐると広大な境内が広がる。往時には、5,600坪の広大な境内に多数の堂宇があったとのことだ。その多くは、太平洋戦争の空襲で焼失してしまった。
 納経所は、200m程離れた本堂(太子堂)にある。この辺り一円が寺領だったことが忍ばれる。奥の院は、数km先の犬吠岬の近くにある。本堂、大師堂、納経所、近くの墓地には何れも彼岸のためか大勢の人で賑わっていた。
 お寺の近くは、煎餅屋が多く、「ぬれせんべい」が名物のようだ。銚子駅に戻り、12:15の成田線普通列車で千葉行きに乗車した。

山門(仁王門)

観音堂

観音堂の大提灯

本堂(太子堂)

御朱印

第二十八番 滑河山 龍正院                        TOP

 平成16年3月21日(日)第二十七番圓福寺を参拝した後、銚子駅から成田線の普通列車に乗り、14:22滑河駅に到着した。お寺までの道は、車の往来は多く、近くを走る車にヒヤリとしたこともあった。途中、関東一円を巡る自然道「関東ふれあいの道」があった。この辺りは、約12kmが整備されているようだ。
 遠回りをしたためか、やや時間がかかったようだ。14:50龍正院に到着した。歴史を感じる趣のある佇まいである。仁王門は、重要文化財に指定されている。室町時代に建立され、三間一戸の八脚門である。三間一戸とは、正面が三間(1.8m×3)あり、その中央一間が入口となっているものである。享保年間の大火では、仁王が念仏堂の屋根から大団扇で火を仰ぎ返し、門前一帯の集落を火から守ったという伝説がある。このことから「火伏の仁王尊」と呼ばれている。
 承知5年(838年)慈覚大師によって開かれたお寺である。境内は、ゆったりとして心が落ち着くお寺であった。納経所の方も親切で、帰りの時間も丁寧に教えて頂いた。坂東33箇所は、西国33箇所、秩父34箇所と合わせて100観音と言われ、四国八十八箇所のお大師様とは異なると説明して頂いた。尼さんからは、飴を頂いた。ちょっとした心遣いが嬉しい。御本尊は、十一面観音で朱印には「観世音」と記されていた。

山門(仁王門)

仁王尊

観音堂

観音堂

御朱印

第十番 厳殿山 正法寺                                TOP

 平成16年4月3日(土)7:50東京都内を出発し、10時過ぎに東武東上線の高坂駅に到着した。途中の乗り継ぎに失敗し、思ったより時間がかかった。
 10:20高坂駅から歩き始めた。駅から西に向かう道路は道幅も広く多くのブロンズ像が並んでいた。一つ一つ眺めて歩くのも楽しかった。作者だろうか、全てH.TAKATAの銘が入っていた。暫く歩き、大東文化大学のキャンバスを過ぎれば、直ぐに「岩殿観音」の看板があった。道路を下れば本殿、旧道を下りて山門(仁王門)に辿りついた。仁王像は運慶作と伝えられている。11:15になっていた。
 養老2年(718年)物見山の岩窟に逸海上人が千手観音を祀ったのが始まりという。銀杏の巨木や古木に囲まれた境内は、静かで落ち着いたお寺である。絵馬堂には蚕の繭が奉納されていた。昭和貮年十月二十三日と記されていた。観音堂の右手は、岸壁になっていて穴の中に多くの石仏があった。天気も良く山門では鶯の鳴き声が響き渡っていた。
 11:50山門を後にし、12:35高坂駅に到着した。

山門(仁王門)

運慶作の仁王像

観音堂

御朱印

高坂駅前通り棟方志功の像

第十一番 岩殿山 安楽寺                           TOP

 平成16年4月3日(土)第十番正法寺参拝の後、高坂駅から東武東上線で一駅の東松山駅に向かった。13:30東松山駅から安楽寺に向かいスタートした。アスファルト道路の固い道を長々と地図を頼りに歩いた。
 14:40頃、ポツンとある一軒の鄙びた蕎麦屋があった。まるでお寺の入口かと見間違えたほどである。近くには、ふるさと歩道「←吉見観音」の標識があった。ボーとし歩いていたら見落とす所であった。もっと大きな看板が欲しいところである。
 14:50山門に到着した。威風堂々とした趣のある山門である。境内には、吉見大仏と呼ばれる3mほどの阿弥陀如来座像がひときわ目立つ。寛永年間に再建された三重塔も立派なものである。観音堂の裏には、山号にもなっている
がある。観音堂の欄間にある左甚五郎の「野荒しの虎」は、何かしら愛嬌があった。納経所の僧も丁寧で「お気を付けて」との言葉で送り出して頂いた。
 山門でボーとしていると、おもしろいおじさんが話しかけて来た。定年から7年、お寺参りをしているとのこと、埼玉では川越のキタ?が一番だと話していた。城跡に近く、深川で生まれたとか、田舎に疎開し、そのまま居付いたらしい。酒好き、パチンコ好き、寺好きと、何か趣味が似ている御仁であった。

 15:55下山した。16:50吉見百穴に立ち寄ったが、時間が遅く終了していた。ヒカリゴケが有名らしい。川沿いの堤防の桜並木も見事であった。途中、岩室観音に立ち寄り、参拝した。石仏には胎内巡りもあった。17:40東松山駅の東口に到着した。

山門(仁王門)

観音堂と吉見大仏

三重塔

左甚五郎の「野荒しの虎」

岩 殿

御朱印

吉見百穴

堤防の桜並木

岩室観音

岩室観音胎内巡り

第七番 金目山 光明寺                           TOP

 平成16年4月11日(日)8:00東京都内を出発した。飯田橋からJR中央線に乗り、新宿で小田急に乗り換え、9:45東海大学前に到着した。駅からは、真田神社が目印となり、概ね、迷わずに歩くことができた。金目川の近くでは、桜の散る情景に風情を感じながら歩いた。
 10:40金目山光明寺に到着した。小さいながらも落ち着いたたたずまいのお寺である。大宝二年(702)創立で、鎌倉、室町幕府の時代には、歴代将軍が祈願所として栄えたとのことだ。時々、年配の方が訪れるが、静寂の中の一時を過ごすことができた。老人施設の方々かと思われる老人3人、ヘルパーさん2人が参拝していた。一人が鐘を打つと、打ち過ぎると仏様がびっくりするなどと楽しげに話していた。観音堂に上がると、重要文化財の普賢菩薩を拝むことができた。観音堂の横にある歓喜堂には、歓喜天(正式には、大聖歓喜大自在天)が祭られていた。密教の諸天の一人である。
 11:50お寺を後にし、歩いて駅に向かった。12:35鶴巻の大けやきで一休みした。樹齢600年、高さ30m、幹回り10mの大きなものだ。12:45小田急鶴巻温泉駅に到着した。駅前で神奈川中央交通バスを見ると車内でお菓子を販売しているようだ。珍しいものを見た。

山 門

観音堂

納経所から望む観音堂

御朱印

鶴巻の大欅

第八番 妙法山 星谷寺                          TOP

 平成16年4月11日(日)弘明寺参拝の後、13:15小田急線にて鶴巻温泉から座間に向かった。12:32座間に到着した。座間駅から歩き、14:45妙法山星谷寺に到着した。
 仁王門はないが、左手に阿形の金剛力士像、右手に吽形の金剛力士像が配置されていた。この辺り一帯は、深い森であり、その中に泉が湧き、星影が水面に映り暗い夜にも明るくなっていたので、地元の人は「星谷」と呼んでいた。お寺は、天平年間に僧行基のよって開かれ、星の谷観音と腰部用になった。観音堂の中心には厨子が置かれ、中に観音像を見ることができた。本尊は、星の谷(ほしのや)観音である。本尊の厨子の扉を開けるのは、丑年の10月18日のみとのことだ。
 境内では、ハーレーで巡礼をしている方と暫し立ち話、以前、光明寺で見かけた方と思う。秩父観音を巡り、坂東に入ったとのことだった。他には、誰もいなく風が心地よい。暫し休憩をとったが、座って休む場所がないのが難点である。
 14:15お寺を後にする。座間駅に戻り、ビールを飲みながら、のんびりと東京に戻った。

参 道

山門(仁王像)

境 内

観音堂

御朱印

第九番 都幾山 慈光寺                          TOP

 平成16年6月26日(土)9:00東京都内を出発した。東武東上線で小川町まで行き、JR八高線で明覚駅に向かった。
 11:40明覚に到着し、駅から歩いて慈光寺に向かった。JR明覚駅からは、県道を西に一本道であった。途中、都幾川の三波渓谷は美しい。一日のんびり過ごしたい場所である。
 13:10頃7慈光寺入口バス手に到着した。15分ほど休憩し、参道を登りお寺に向かった。登り道がきつい!!途中ビールを飲み過ぎたせいかもしれない。幸い、途中、商工会の車に乗せて頂いた。
 13:50頃、慈光寺に到着した。境内に人は少なく、観音堂前でゆっくりすることができた。失礼とは思ったが、観音様に背を向けて石段に腰掛けて暫しボーーとした。色々な鳥の声が聞こえてきたが、静けさに浸った。
 都幾山の中腹にある慈光寺は、白鳳二年(673年)に僧慈訓が刻んだ千手観音を本尊として祀ったのが創始とされている。その後、役行者(えんのぎょうじゃ)が修験道を開いた。
 境内には、般若心経堂と呼ぶ70畳の講堂がある。中には、空海の般若心経の写しが展示されていた。ここでも暫しの癒しの一時を過ごした。
 納経所では、丁寧に朱印を記していただいた。納経所で、千手観音の謂れを聞いた。千手観音は、母を意味すると、乳を飲ます、オムツを替える等、人の母は、子に多くの手をかけるので千手観音と言うらしい。朱印は、大悲殿。本堂は消失とのことで、暫し、阿弥陀堂の前で休憩した。多羅葉(たらよう)の大木がある。葉の表皮に文字が書けることから、郵便葉書の語源になったようだ。
 15:00お寺を下山し、村営バスを利用することとした。バス停までの車道の脇道には、ウッドチップが施され、歩くと柔らかく心地いい。
 15:30バス停到着。村営バスで帰ることとした。村営バスは、明覚寺と越生の両駅から出ていた。慈光寺から、途中、村役場で乗り換えて東武越生に向かった。村役場での乗り換えでは、バスの運転手さんから連絡を取って到着待ちして頂いた。感謝!!である。東武越生から東京都内に戻った。こんなに近くで、自然を満喫できるとは驚きであった。

明覚駅

参道(登山口)

参道のお堂

山 門

境内の紫陽花

観音堂

般若心経堂の空海般若心経

御朱印

都幾川

小川町駅

第二十九番 海上山 千葉寺                          TOP

 平成16年7月23日(金)この日は、8:00東京都内を出発し、JR飯田橋駅から千葉に向かった。9:10千葉に到着した。JR千葉駅の直ぐ隣にある京成千葉から「千葉寺」に向かった。東京近郊の割には、電車は少ない。9:37京成千葉で乗車し、9:43に千葉寺に到着した。
 千葉寺からは、歩いて9:56山門に到着した。山門は、天保12年(1841年)に再建された単層入母屋造り荘厳な仁王門である。広々とした境内には、公孫樹(いちょう)がある。和銅2年(704年)僧行基がもたらしたものと伝えられている。日陰に入ると涼しい風が通り抜ける。
 千葉寺は、709年創建されている。お寺の周囲は道路のためか小さな構えになっている。平日のためか、境内には誰もいない。自動車の音と蝉の声の喧噪のなかにいる。風は涼しいのでベンチで一休みすることとした。のんびりした一時を過ごした。
 境内には、フェンスで囲まれた畑がある。温室の骨組みも見られ本格的である。第三日曜日には、骨董市も開かれるようだ。
 10:20お寺を後にした。帰りはバスにした。10:40JR千葉駅に到着した。

山門(仁王門)

本堂(観音堂)

境内の農園

公孫樹(いちょう)

御朱印

第十五番 白岩山 長谷寺                          TOP

 平成16年7月24日(土)朝から曇りで蒸し暑い日であった。7:22飯田橋駅からJRで青春18切符を利用して回ることにした。上野発7:50普通列車に乗車し、高崎駅で下車した。10:00室田行きバスに駅前から乗車し、10:20ドドメキで下車した。
 バス停から入山口が分かりにくく迷った。迷った先の自動車修理屋で聞くとバス停のすぐ横に標識が出ているとのことでバス停まで戻った。1.5km程ロスしたようだ。
 10:30にバス停に戻りと立派な標柱があった。思い込みのエラーである。11:00山門に到着した。登り道では、大いに汗をかいた。榛名山の山麓にあるお寺で、役行者の修験の寺である。朱塗りの仁王門をくぐると、大きな観音堂がある。武田勝頼が天正8年(1580年)に再建したお堂である。
 11:23納経所で記帳して頂く。納経所で水沢までの道順を聞き次に向かった。高崎まで戻るより、4km歩いて箕郷(みさと)まで歩き、伊香保行き(高崎駅発)のバスに乗った方が良いとのことだ。
 なお、水沢観音までは歩いて5時間かかるとのことで断念した。しかし、年に1〜2人は歩いて坂東33か寺を巡礼している人がいるとのことだ。その方々は、四国88か所を歩いて回る健脚の方ばかりとのことだ。親切に丁寧に地図を書いて頂いた。感謝!!感謝!!
 11:40山門を出る。途中、わかさぎの管理釣り場である鳴沢湖のファミリー広場で20分ほどの昼食休憩をとった。12:50箕郷町「四ツ谷」バス停に到着した。13:10群馬バス総合バスセンターを経由し13:50水沢に到着した。

入山口の標柱

参 道

山門(仁王門)

観音堂

御影石の不動明王像

御朱印

鳴沢湖

鳴沢湖

第十六番 五徳山 水澤寺                          TOP

 平成16年7月24日(土)14:17群馬バスで「水沢観音」下車。手前の「水沢」で降りようとしたら運転手さんからお参りならば、もう一つ先と教えられた。確かに、随分上ってきた。感謝である。伊香保温泉が近いせいか多くの人で賑わっている。長谷寺とは対照的である。近くには、「おもちゃ博物館」などの観光施設も多いようだ。「水沢うどん」が有名であるが、残念ながら満腹であった。
 14:20バス停からすぐに水澤寺があった。天明7年(1787年)に再建された仁王門には、仁王像と風神、雷神が祀ってあった。仁王門から階段を上ると観音堂と六角堂があった。観音堂は、元禄元年(1688年)に再建された朱塗りの立派なお堂である。
 納経所の近くには、2箇所の岩から湧水が出ていたので、空のペットボトルに汲んで帰った。水沢の観音杉は、町の天然記念物である。平成13年にできた釈迦堂には円空仏などが安置されていた。近くで眺めていると、何か、豊かな気持ちになった。
 15:00下山し、伊香保タウンバスで伊香保バスセンターまで向かった。伊香保名物の石段街の入口にある石段温泉で入浴し疲れを取った。町営で入浴料400円と安い。褐色の鉄分が強い温泉のようである。のんびりと1時間程温泉を楽しんだ。入浴後、階段街で有名な伊香保温泉の街並みを散策し、17:50伊香保温泉発のバスに乗車した。20分ほどで渋川駅に到着し、JRで東京に帰った。

仁王門

仁王像

風神像

雷神像

観音堂

六角堂

釈迦堂

御朱印

町営浴場「石段の湯」

伊香保温泉の石段街

第三十番 平野山 高蔵寺                          TOP

 平成16年7月31日(土)7:40JR飯田橋駅から総武快速乗車し、9:35茂原に到着した。当初は、笠森寺へ行こうと茂原まで来たが、笠森寺へのバス(牛久行、笠森行)は、11:25までない。2時間余りあるので、木更津に戻り高倉寺に行くことにした.。後に、短気を後悔することになる。
 9:50の電車で木更津に行くことにした。青春18切符は便利である。イライラを鎮めるために車内でビールを飲みながら、蘇我で乗り換えて木更津には11:00に到着した。しかし、駅前で再び途方に暮れる。ここでも、次のバスは12:30である。高蔵寺に向かう東口草敷行きの時刻は、8:20、9:15、12:30、13:30、15:30しかない。この日は、何とも、短気か運気かわからぬが厄日であった。たぶん、両方だろう。
 時間があるので、約40分程、木更津港までの市内を歩いた。人通りの少ない街で寂れてしまっている。映画館があり、スチームボーイを上映していた。途中、有名な切られの与三郎の墓を参拝し、それなりにゆっくりできた。
 12:30のバスに乗車。12:50「高倉観音下」下車。歩くことのできた距離だったかもしれない。
 13:05山門に到着。蝉の声とお経が聞こえてくるのみである。誰もいなく静かである。高倉寺は、森に囲まれ、藤原鎌足生誕の伝説がある古刹だ。茅葺きの仁王門をくぐると、大永6年(1526年)に再建された壮大な観音堂があった。境内には、霊木、聖天(歓喜天:かんきてん)の2本の木が結根したものがある。
 納経所でお茶を頂く。実に美味かった。道を聞くと、笠森へは、五井へ出て、小湊鉄道で牛久まで行くのが便利らしい。
 14:10バスで木更津駅に向かった。木更津駅14:48のJRに乗車し、15:10五井駅着、15:23小湊鉄道で牛久に向かった。

仁王門

観音堂

霊木・聖天

観音堂の堂内から

境内の小さな石像

境 内

高蔵観音のマスコット「クラちゃん」

御朱印

木更津の市街地

木更津港遠望

第三十一番 大悲山 笠森寺                          TOP

 平成16年7月31日(土)15:23小湊鉄道五井駅から牛久駅に向かった。電車の全ての窓が開いていて扇風機が回っている。冷房はない。暑さにウンザリしたが、次第に、快適になってきた。もう少し、昔の生活スタイルに戻った方が良いのかもしてない。電車の音さえも心地よくなってきた。
 15:40牛久駅に到着した。16:00茂原行きのバスに乗車し、16:15笠森のバス停に着いた。バスは、一人だけの貸し切りであった。
 16:30近くに観音堂に到着した。16:30閉山とのことなので慌ててお堂に上がり納経をお願いすると、にこやかに「どうぞ、では、先にお参りください。」と気持ちよく応じて頂いた。立派な舞台造りの観音堂である。日本で唯一の四方懸造りで、床の高さが20mもある。国の重要文化財に指定されている。納経帳には、通常「大悲殿」と書かれることが多いが、このような舞台作りの本堂では「大悲閣」と書くようだ。境内も広々とした大きなお寺である。周囲の深い森は天然記念物に指定され、多くの古木、霊木がある。山門近くには、芭蕉が詠んだ「五月雨にこの笠森にさしもぐさ」の句碑があった。ここは、早い時間に来てゆっくりすべき場所だったと思う。この日は、順路を間違えたようだ。
 17時頃か、半鐘のような鐘が鳴る。ジャーン、ジャーン、ジャン、ジャンと一日の終わりを告げていた。笠森の自然林は魅力的である。下山の途中、弁天池の近くで一休みした。テラスに椅子があり、ゆっくり寛ぐことができた。酒の販売がないのが残念である。風も涼しくなってきた。快適である。車の音もなく、聞こえるのは蝉と虫の音だけである。17:30まで森林浴でのんびりした。
 18:30茂原着。思ったより大きな町である。第50回茂原七夕祭りで賑わっていた。何か阿波踊りに似ている踊りである。茂原の祭りと酒を楽しんで東京に帰った。

山 門

観音堂(大悲閣)

御朱印

弁天池

茂原の七夕祭り

第十七番 出流山 満願寺                          TOP

 平成16年8月7日(土)7:10飯田橋駅からJRで新宿を経由し、9:08小山駅で両毛線に乗り換えて9:20栃木駅に到着した。駅前から関東バスの出流観音行きは、9:00、13:00、15:50の3本のみである。栃木駅で約1時間の待ち時間があったので駅近辺の市内を散策した。人通りは少なく、駅も市街地の外れにある。「蔵」がテーマの街で交番も蔵造りに模してあった。観光案内所で地図を入手し市内を散策した。
 栃木駅には戻らず、市内のバス停から10:42のバスに乗った。バス待ちの間、老人が土地の話をしてくれた。この地方は、そばが美味しいそうだ。出流まで4里、昔は、3月20日の縁日には多くの人が歩いて参拝に行ったそうだ。小学校も半ドンになり、2時間かけて歩いて行ったという。昔の人は、1日10里を歩くのは、苦でもないと言っていた。出流観音の奥の院の鍾乳石の形は、弘法大師が荷を背負い拝んでいる姿だそうだ。是非、拝んでくるようにと勧められた。話し終わると、老人は寸切りのピースを半分吸い、残りを大事そうにしまった。
 11:20出流観音に到着した。バスで約40分、750円、相当な山深く入ったようだ。11:30山門に到着。木々が生い茂り広々とした境内である。修験者の修行地であったのが窺い知れる。千手観音を祀る観音堂は立派な作りである。境内には、坂東札所唯一の宿坊である信徒会館が建っている。満願寺は、天平神護元年(765年)勝道上人の開基により、役行者、行基、弘法大師との縁もあるという。
 11:55奥の院への参道を上り始める。奥の院まで1.5kmである。渓流に沿った参道は、涼風が爽やかである。川面には白い湯気が立っている。途中、滝の前で休憩、しばし、ぼんやりと眺めていた。せせらぎの音も心地よい。上りで、ややきつかったが気分は爽快である。
 12:20奥の院に到着した。参拝者と挨拶を交わしながら上ってきた。老人からは「杖を貸そうか」かと、こちらも「いいえ、お疲れさま」の言葉を返す。鍾乳洞は一間程の間口で奥行きも10m程である。中は、涼しい。鍾乳石は、5万年をかけたと言われている。100年で1cm成長するらしい。十一面観音菩薩の後ろ姿と表示されていた。バス停の老人が言っていた、弘法大師が荷を背負い拝むような後ろ姿で良いと思った。
 13時、下山開始。年配のご婦人が階段がきついから帰るとこぼしていた。納経所で頂いた朱印には、「大御堂」と書かれていた。境内には、百日紅の赤い花が綺麗に咲いていた。
 バス停近くに、蕎麦屋の看板を掲げた民宿があった。1階で食事ができる。古民家風で、風情のある処で、気持ちもリラックスできた。ここで、蕎麦を食べ、地ビールを飲むことにした。急に雷と土砂降りの雨、良いタイミングで入った。この辺りは雷が多いらしい。そば「2合五勺」を注文した。蕎麦は短く、蕎麦粉の割合が多いためか歯ごたえもしっかりして美味かった。地ビールは「小江戸蔵の街地ビール」である。帰りには、土産にゆずを1つ頂いた。

 14:15バスでJR栃木駅に向かい、14:56栃木駅に着いた。ここでも雷雨である。16:15宇都宮では、更に辺りは暗くなり激しい雨であった。雨の仕業かは分らぬが、踏切のトラブルで遅れた電車に乗り東京に戻った。

山門(仁王門)

仁王像

境内の参道

観音堂に向かう階段

観音堂

観音堂の堂内

境 内

御朱印

奥の院への参道

奥の院への参道

奥の院

鍾乳石(十一面観音の後ろ姿)

栃木市、蔵の町

蔵造の交番

栃木駅

第十九番 天開山 大谷寺                          TOP

 平成16年8月14日(土)4:50起床。テレビでは、アテネオリンピックの開会式を放送していた。6:00地下鉄で池袋に出て、赤羽で乗り換え、8:22宇都宮に到着した。相当にロスしたようだが、8:25のバスにギリギリで間に合った。
 8:45大谷(おおや)観音前到着、バス停から観音様の顔が見える。石窟の中に御堂がある。岩窟に入り込んでいるような独特な趣のお寺だ。弘仁元年(810)行基が開基し、日本最古の石仏とのことだ。岩に彫り込まれた千手観音があり、観音堂は、岩壁を守るように建てられている。石心塑像、平安時代の作で国の重要文化財に指定されている。風化が進みお顔ははっきりしないが、じっくり眺めると優しそうなお顔に見えてきた。
 お堂を出ると、釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の石仏が石壁に刻まれ見事である。特に、釈迦三尊には圧倒された。上部を深く彫り込み、下部を浅く彫っているという。下から見上げるための遠近法が施されているとのこと、古の匠の技である。
 境内に人は少なく、水の滴れる音が静かに聞こえてくるだけであった。ご朱印には、「千手大悲殿」と記されていた。
 9:35下山、平和観音が近くにあり、参拝して帰った。同様に、大きな石の観音像があるお寺である。この辺り一帯が石場であろう。石屋も多くみられた。観音近くまで登れる。上からは、大谷寺が一望できた。
 9:58のバスでJR宇都宮駅に向かった。10:30宇都宮駅前で名物の餃子とビールで腹ごしらえし、第20番西明寺に向かった。

山 門

観音堂

境内の石像群

境 内

大谷寺全貌

御朱印

平和観音

平和観音

第二十番 獨鈷山 西明寺                          TOP

 平成16年8月14日(土)宇都宮から小山に出て、水戸線で下館に向かった。11:34小山乗車、4両編成が満員であった。12:01下館発の真岡鉄道に乗車し、12:43益子に到着した。
 12:50益子駅から歩き始め、50分ほどで山門に到着した。参道は、上り道である。あと300mの看板付近で遠くから読経の声が聞こえてきた。暫く歩くと線香の匂いも感じるようになる。蒸し暑い日であったが、舗装道ながら山道に入ると木も茂り、風も涼しくなっている。五感で自然や人の雰囲気が感じられる。
 お寺の伽藍は大きくないが、風格のある本堂や三重塔がある。元国宝で現在は重要文化財に指定されているようだ。三重塔は山門の外に配置されている。参拝者は少なく静かな境内である。
 本堂前のベンチで暫し休憩すると心も落ち着き癒しの気分になった。暫し佇むが、ふと、考えてしまう。本堂の前や横には、表情豊かな小さな像が多く置かれている。山門の下には「獨鈷處」(どっこいしょ)という休憩所がありお茶を頂くことができた。獨鈷山に因んだ名前のようだ。
 14:40下山することとし、のんびりと益子の町並みの中を歩いた。この地は、益子焼で有名で多くの陶器屋が並び度々立ち止まってしまう。16:19益子駅で電車に乗った。待ち時間なく、良いタイミングで電車が出た。
 途中、有名な佐野ラーメンを食べてみようと思い、小山から30分ほどJRに乗り、18:20佐野駅に到着した。駅前でラーメンを食べた。ちじれ麺でしょうゆの薄味だ。店内では、オリンピック中継で電車待ちには良かった。19:17のJRで東京に帰った。

参 道

参 道

三重塔

山 門

観音堂

境 内

境内の地蔵


益子の市街地

益子駅

真岡鉄道

JR佐野駅

第十四番 瑞應山 弘明寺                          TOP

 平成16年9月23日(木)11時頃、品川駅から京浜急行に乗り、約40分で弘明寺駅に到着した。街中のお寺である。
 門前の商店街を通り抜けると山門に着く。仁王像は運慶の作と言われている。山門をくぐり、階段を上がると観音堂がある。弘明寺は天平9年(737年)創建の古刹である。納経所の受付の方も親切にして頂いた。朱印は「大悲殿」小さいながら落ち着けるお寺であった。13:00下山、門前の商店街は賑やかである

山 門

六地蔵

境内の石段

観音堂

御朱印

第六番 飯上山 長谷寺                          TOP

 平成16年10月2日(土)昨夜は、中日ドラゴンズが優勝!!久々の明るい話題があった。8:41新宿から小田急電鉄で本厚木に向かった。9:33本厚木に到着した。本厚地駅から、途中道に迷い12時頃、飯山観音参道前の入口に着いた。帰りのバスを確認すると、毎時16分、46分の2本ある。
 途中の龍蔵神社を参拝し、暫し休憩した。神社の境内には、誰もいない。静かな時を過ごした。
 丹沢山麓にある古刹で、桜の名所として有名だ。小鮎川にかかる赤い橋を渡ると山門までの上り道が続く。12:50山門に到着した。長谷寺は、神亀2年(725年)に行基が開基し、この地の領主が伽藍を建立したという。
 山門をくぐり、階段を上ると、石灯篭の並ぶ参道が観音堂まで続く。静かな境内は広々としている。多くの人が参拝しているが静かである。のんびりと一休みし、いつの間にか、うたた寝していると、落ちて来たどんぐりが当たり目覚めた。14時を過ぎていた。昨日は、蒸し暑い日だったが、本日は、涼しい風が心地よい。
 14:20下山。門前の松風庵の前には、秋らしく栗が並んでいた。白山(標高285m)へのハイキングコースがある。30分で山頂まで行けるようだ。帰りは、14:46のバスに乗った。
 17:00頃、新宿に着いた。駅売りの新聞に、中日ドラゴンズの優勝ではなく、「イチローが安打新記録258安打」の見出しが躍っていた。

小鮎川

小鮎川の赤橋

道 中

参道入り口

山 門

仁王像

観音堂

飯山の隠れ鐘

御朱印