四国八十八か所巡礼 歩き遍路
讃岐の国 涅槃の道場


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札所 山号 寺号 納経日 札所 山号 寺号 納経日
66 巨鼇山 雲辺寺 平成26年4月26日 78 仏光山 郷照寺 平成26年4月28日
67 小松尾山 大興寺 平成26年4月26日 79 金華山 天皇寺 平成26年4月28日
68 琴弾山 神恵院 平成26年4月26日 80 白牛山 國分寺 平成26年4月28日
69 七宝山 観音寺 平成26年4月26日 81 綾松山 白峯寺 平成26年4月29日
70 七宝山 本山寺 平成26年4月27日 82 青峰山 根香寺 平成26年4月29日
71 剣五山 弥谷寺 平成26年4月27日 83 神毫山 一宮寺 平成26年5月31日
72 我拝師山 曼荼羅寺 平成26年4月27日 84 南面山 屋島寺 平成26年5月31日
73 我拝師山 出釈迦寺 平成26年4月27日 85 五剣山 八栗寺 平成26年5月31日
74 医王山 甲山寺 平成26年4月27日 86 補陀洛山 志度寺 平成26年 6月 1日
75 五岳山 善通寺 平成26年4月27日 87 補陀洛山 長尾寺 平成26年 6月 1日
76 鶏足山 金倉寺 平成26年4月28日 88 医王山 大窪寺 平成26年6月14日
77 桑多山 道隆寺 平成26年4月28日 01 竺和山 霊山寺 平成26年6月15日


 四国歩き遍路、涅槃の国(讃岐の国、香川県)を巡礼する。2014年4月26日から2014年6月14日までの7日間を歩き結願した。歩き遍路47日目、第66番札所雲辺寺から53日目の第88番札所大窪寺までの7日間の記録である。翌日には、1番札所霊山寺にお礼参りをして今回の巡礼の旅を終えた。

歩き遍路47日目                                Top

 2014年4月26日(土)雲辺寺遍路道の登り口にある民宿を6時半に発った。途中、宿で同宿していた喜寿の老遍路とご一緒しながら、9時前には、第66番札所雲辺寺に到着した。12時半頃、第67番札所大興寺、15時半頃には、第68番札所神恵院、第69番札所観音寺を打った。
 観音寺は、108年ぶりの御開帳で御本尊を拝むことができた。この日は、近くの銭形を観光し、観音寺市内に宿をとった。


第66番札所巨鼇山雲辺寺                                    Top

 6時半、早めの朝食を準備して頂き、雲辺寺山の麓の民宿を出発した。三角寺を打った後の雲辺寺の上り口にあり、並足には良い場所にある。遍路宿のご主人は、遍路に親切であり、夕食では雲辺寺までの道順の説明もして頂いた。
 6:45雲辺寺遍路道入口の看板から細い山道に入って行った。途中、喜寿の老遍路と付かず離れず歩き、この日は度々出会った。本人は、遅いと言っていたが、年齢を思わせない健脚である。
 単調な緩い上り道を歩き、途中、畑の横の農道から馬の背のようなアスファルト道を歩く。「遍路ころがし」の難所があると聞いていたが、思ったほどの厳しさはなかった。コースが違ったのかもしれない。
 9時前には、雲辺寺に到着した。山門がない。
 山門は、ロープーウエー側に移築(新築)したようだ。本堂の千手像は石仏である。境内には、既に同宿の遍路が大勢いた。幾分、遅い到着のようだ。
 雲辺寺は、四国山脈の雲辺寺山(標高927m)の頂近くにある霊場で、四国八十八か寺のうち最も標高の高い911メートルにある。寺の住所は、徳島県であるが、讃岐の打ち始めになる。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から集まる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と呼ばれて栄えたようだ。鎌倉時代には、七堂伽藍が整備され、阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。
 10時前には、下山した。山門から間もなく、見事な五百羅漢の並ぶ参道を下っていった。



6:50雲辺寺遍路道入口の表示板を見て上る。

7時ごろ、雲辺寺への遍路道を上る。

8:40雲辺寺に到着した。

「おたのみなす」茄子の花は、一つの無駄なく実になることから「成す」の語呂を合わせ、願いが叶うと言われている。

本 堂

本堂から大師堂に向かう。

大師堂

納経所に掲げられた看板には、四国霊場最高峰と書かれていた。

山門は、ロープーウエイ側に新築されていた。歩き遍路には、出口になってしまった。入り直すのが本来であろうか。

参道に並ぶ五百羅漢。下山道にあった。


第67番札所小松尾山大興寺            Top

 10時前には、雲辺寺を下山し大興寺に向かった。山門から間もなく、五百羅漢の並ぶ参道を下って行く。山つつじが美しい。緑の木々の中にふっと現れる赤が鮮やかである。
 11時前、善通寺の宿坊に電話を入れ、明日の宿を予約した。観音寺からなら、早く出た方が良いですよと言われた。やや心配になった。
 12時頃に岩鍋池を通過し、12時半、67番札所大興寺に到着した。団体が賑やかだったので、参拝前に弁当を食べた。民宿でお接待として頂いたものだ。
 山門の3.14mの金剛力士立像は、運慶の作であり四国八十八か寺で最大のものという。また、本堂の大蝋燭は7日間灯すという。30cmほどあり、「七日燈明」と呼ばれている。団体の先達さんによれば、境内の松葉に御利益があるそうで、財布に入れるとお金が貯まるという。一つ拾い上げ小銭入れに入れたが、後に粉々になっていた。縁起が悪い。
 大興寺は、地元では、山号の「小松尾寺」と親しまれ、近傍一帯の集落を小松尾と呼ぶという。現在の大興寺は真言宗の寺院であるが、往時、真言二十四坊、天台十二坊が立ち並び、同じ境内で真言天台二宗が兼学したという珍しい寺である。
 13時過ぎには下山した。観音寺まで8.7kmの表示板があった。


 9:40五百羅漢の並ぶ参道を下った。

 「最後の一国涅槃の道場」の石柱が遍路道にあった。

 11時頃の遍路道。赤い山つつじが映える。(写真より綺麗に見える。)

 遍路道にあった標柱。残念ながら読めない。

 12時、「みんなのお休み所」でひと休み。

 12時半、大興寺に着いた。

 山門から趣のある境内を歩き本堂に向かった。

本 堂

大師堂

 境内の三鈷の松にはご利益があり、3本付いている松葉を財布に入れると財を成すという。

第68番札所七宝山神恵院・第69番札所七宝山観音寺    Top

 13時過ぎ、大興寺を下山し観音寺に向かう。途中の汐沢製菓さんでは「よもぎまんじゅう」「やきもち」の接待を頂いた。製菓店は、道路を隔てた反対側であったが、交通量の多い車の間隙を縫って若い奥さんが駆けてきた。感激した。
 15時には、「大平正芳記念館」を通過した。時間があれば、立ち寄ってみたかった。途中、地元の方に案内して頂き、15:20観音寺に到着した。
 一つの境内に二つの札所があることは聞いていたが、神恵院ではなく観音寺の本堂に先に行ってしまった。観音寺は、108年ぶりの御開帳の日であった。ご開帳は、16時まで、先に観音寺をゆっくり参拝で来て良かった。順路通りでのんびりしていたら御本尊を拝めなかったかもしれない。こうゆうのをご縁と言うのだろうか。
 観音寺は、弘法大師が住職をしていた時期もあるという名刹で、ご開帳を記念し、詳しい説明があった。本尊を参拝した後、第68番札所七宝山神恵院を参拝し、納経所で二か寺の朱印を受けた。
 神恵院は、打ちっぱなしのコンクリートで出来た近代的な本堂が印象的で、対照的に観音寺は、荘厳な本堂を構えていた。
 納経所で銭形への道筋を聞くと、薬師堂の近くの階段を上れば、7、8分とのことだったので、銭形を観光して観音寺近くの旅館に宿をとった。
 夕食では、一人の遍路が横に座った。いろいろ話をしていると、宿毛の米屋旅館で一緒だったようだ。当方は覚えていないが、流石、若い人は良く覚えている。会話が弾み1時間余りを過ごした。中庭の日本庭園が美しい旅館だった。

 14:20遍路道の途中にあった「お遍路さん休憩所」

 14:30汐沢製菓さんで餅のお接待をいただきました。

 お接待で頂いた「よもぎもち」「やきもち」。やきもちは名物で美味しかった。エネルギー補給でき感謝!!

 15:00大平正芳記念館を通過。次回は、立ち寄りたい。

 15:15財田川を渡る。琴弾八幡宮が見えてきた。

 15:30山門に着いた。二か寺の札が架かっていた。

境 内

 神恵院本堂への入り口。斬新な造りである。

神恵院本堂

神恵院大師堂

観音寺本堂

観音寺大師堂

二か寺の納経所

 16:30 銭形を観光して宿に入った

 この日の宿、晩翠の中庭。綺麗に手入れされていた。


歩き遍路48日目                                            Top

 2014年4月27日(日)観音寺近くの旅館を7時に出発し、第70番札所本山寺、第71番札所弥谷寺、第72番札所曼荼羅寺、第73札所出釈迦寺、第74番札所甲山寺、第75番札所善通寺の6か寺を打って善通寺宿坊に宿をとった。約25kmの道程であったが、一か寺、一か寺を味わって参拝する余裕がなくなってしまった。途中、地元の方のお接待を受けたり、多くの歩き遍路と交流することもできた一日であった。


第70番札所七宝山持宝院本山寺                           Top

 朝7時、宿を出て本山寺に向かった。財田川の堤防、河川敷を40分ほど歩くと遠くに五重塔が見えて来た。宿のご主人が暫く歩けば五重塔で分ると言ったのを思い出した。
 8時、本山寺に到着した。山門は、国の重要文化財に指定され、本堂は国宝になっている。境内は、既に団体の遍路で賑やかだ。昨日来の老遍路にも出会った。縁起によれば、大同2年(807年)平城天皇の勅願により、弘法大師が開基したという。本堂は弘法大師が一夜で建立したという伝説が残っている。

 7:50財田川から見える五重塔。ランドマークになっている。

 8:00本山寺に到着した。仁王門は、重要文化財に指定されている。

 国宝に指定されている本堂。既に、団体の遍路が来ていた。

大師堂

 境内には、見事な五重塔が立っている。


第71番札所剣五山千手院弥谷寺                             Top

 8:40本山寺を下山し弥谷寺に向かった。財田川の堤を歩き、国道11号線から遍路道に入った。
 9時半、権兵衛神社、10時前に高津神社通過した。この頃、地元のウオーキング中の方と出会い、弥谷寺までご一緒して頂いた。案内して頂いたようなものだ。道の駅では、お接待まで受け、恐縮してしまった。
 その方によれば、昭和20年代までは、草鞋を編んでお接待したという。
11時半に入山した。仁王門から108段上って大師堂、更に80段と90段上って本堂に着いた。眺めは良い。
 霊場開創1,200年を記念し、ご開帳していた。大師堂の奥には奥の院、獅子之岩屋がある。弘法大師が7歳の頃、この岩屋にて学問に励まれたと言われている。広大で荘厳な寺院である。12時半下山。門前の俳句茶屋でのお接待で頂いた熱いお茶が美味しかった。

 9:30溜池を見ながら遍路道を歩く。

 10:50遍路道(参道)にあった門柱。ここから、2km程を歩いて山門に到着した。往事の広大さが偲ばれる。

 11:30弥谷寺の山門に到着した。弘法大師修行道場と書かれていた。

 仁王門から続く階段を上る。賽の河原と呼ばれている。

金剛拳菩薩

 本坊に向かう階段を上る。

 本堂への階段を上る。

本 堂

 大師堂、お堂は大きく、大師堂の奥に奥の院あり、獅子之岩屋があった。

 門前の俳句茶屋でのお接待の熱いお茶が美味しかった。


第72番札所 我拝師山延命院曼荼羅寺                     Top

 12時半に弥谷寺を下山し、約3kmの曼荼羅時には13時半前に到着した。遍路道には、看板が掲げられていた。裏口のため、50m先の正門に回るよう書いてあった。
 縁起によると、四国霊場で最も古い推古四年(596年)の創建である。この日の予定は、あと三か寺、気が急いて駆け足での参拝になってしまった。14時前には下山した。

 12:40遍路道を歩く。

 弘法大師お手植えの松「不老松」から笠松大師と親しまれている。

 13:30仁王門から入山した。

本 堂

大師堂


第73番札所 我拝師山求聞持院出釈迦寺                 Top

 曼荼羅時から10分ほどで出釈迦寺に到着した。この間、雲辺寺からの歩き遍路三人連れと喜寿の老遍路と出会った。見るからに颯爽と歩いている。
 境内からは、「捨身ヶ嶽禅定」が見える。我拝師山の山頂にあり、弘法大師が身を投じたという伝説の霊場である。約50分の上りのため、今回は、参拝を断念した。
 14:20下山し、甲山寺に向かった。

 曼荼羅寺から出釈迦寺に向かう道。遠くに「捨身ヶ嶽禅定」が見える。

 14:00山門に着いた。

本 堂

大師堂

 捨身ヶ嶽遥拝所。ここから参拝した。


第74番札所 医王山多宝院甲山寺                      Top

 出釈迦寺から30分ほど歩いて甲山寺に到着した。遍路道からは門柱があるのみ裏門になる。仁王門から入りなおした。
 14:50甲山寺入山。境内の岩窟には、弘法大師が彫ったといわれる毘沙門天が祀られていた。この地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を任された弘法大師は、この岩窟で修復工事の完成を祈願し無事完成させたという。
 15:20下山した。

 遍路道を歩くとすぐに甲山寺の裏門に到着した。

 15:00山門より入山した。

本 堂

大師堂

 岩窟に祀られている毘沙門天尊。


第75番札所 五岳山誕生院善通寺                        Top

 甲山寺を下山から20分ほど歩くと善通寺に到着した。遍路道を歩いていると東院と西院の間にある中門に到着する。遍路道からでは中門から入山してしまう。
 境内を通り抜け、南大門より再入山し、東院の本堂を参拝した後、中門から西院仁王門を通って御影堂を参拝し納経所で朱印を頂き、宿坊である「いろは会館」に向かった。
 お寺は、東院と西院に分れ、大いに賑わっていた。流石、弘法大師の三大霊場である。境内が広いので本堂参拝の後の大師堂が分からず道を聞いた。「大師堂はどこですか、みかげ堂がそれですかと」と聞いた。ここまで歩いて回って、御影を「みかげ」と呼んでいた。「みえ」である。恥ずかしい話である。
 この日は、約26kmを歩いて宿坊に泊まった。宿坊には、「大師の湯」という大きな温泉がある。宿坊に泊まることを参籠という。夕食は、精進料理で、肉風の煮物など上手に作ってあった。4人1卓で食事をする。酒も飲め、ここでも遍路談義が弾み2時間を過ごした。
 食堂の一角には修行僧であろうか、お経の声が聞こえて来た。飲んで騒いで申し訳ない気がする。お寺の大祭に招待されたという岡山の老元船長が持論を展開された。遍路は、偏童が訛ったとか。遍路は、世捨て人となった偏童の生活の場であり、巡礼とは、キリストや仏陀の跡を追って歩き、幸せを求めるもの。全く意味が違うとのことだ。この日も食べ過ぎた。部屋にはテレビがない。早々に床についた。

 15:40善通寺に通じる門前町を歩く。

 15:50南大門より入山した。

 広大な境内

金堂(本堂)

中 門

西院の仁王門

 仁王門から御影堂へ続く参道

御影堂(大師堂)

宿坊、いろは会館

夕食の精進料理

歩き遍路49日目                                           Top

 2014年4月28日(月)、6時の善通寺御影堂の朝課から始まった。朝食の後、7時20分には下山し、第72番札所金蔵寺に向かった。
 この日は、8:10第76番札所金蔵寺、9:30第77番札所道隆寺、10:40第78番札所郷照寺、13:40第79番札所天皇寺、16:00第80番札所国分寺の5か寺を打ち、約27kmを歩いた。雨の天気予報だったが、小雨程度で順調な歩きができた。
 この日は、国分寺近くの遍路宿「えびす屋」に宿をとった。8人の歩き遍路との楽しい一夜であった

第76番札所 鶏足山宝幢院 金倉寺                   Top

 善通寺の宿坊に宿泊し、御影堂で6時から朝課を務めた。朝課の後には、御影堂の地下にある戒壇巡りに案内された。胎内という真っ暗な地下道を壁伝いに歩く。差し出す手も見えないほどの闇である。心身を鍛えようというもののようだ。
 7時に朝食をとり、7:20金蔵寺に向けて善通寺を出発した。宿坊では、若い僧が出発する一人ひとりの遍路を見送っていた。50分ほど歩くと金蔵寺に到着した。山門を入ると、背の高い鐘楼が目についた。鐘を撞き、本堂、大師堂と参拝した。何れも大きなお堂であった。
 金蔵寺は、弘法大師が生まれた宝亀5年に和気道善(わけどうぜん)が建立し「自在王堂」と名づけ、仁寿元年(851)11月に開基の名をとって「道善寺」となった。「金倉寺」になったのは928年、醍醐天皇の勅命で、地名の金倉郷にちなんだ寺名となったようと記されていた。乃木将軍寓居の寺としても有名なようだ。8:40下山した。

 7:30善通寺赤門を出て金蔵寺に向かった。

 善通寺市内のアーケードにも趣のある工夫がしてあった。

 8:00遍路道を歩く。

 8:10参道を金倉寺に向かう。

金蔵寺の山門

 境内。鐘楼の背が高い。

本 堂

 本堂の前にあった金の大黒天。金箔を貼っておかげを頂く。

大師堂

境 内

第77番札所桑多山 明王院 道隆寺                         Top

 金蔵寺を8:40に下山し、50分ほどで第77番札所道隆寺に到着した。途中、小さな地蔵の焼き物を頂いた。道隆寺参拝記念と書かれている。年配の方から息子が作ったからと手渡してくれた。ご子息は、障害があるように見受けられた。
 9:30道隆寺入山。この辺りのお寺の鐘楼は背が高い。創建ころのこの付近一帯は広大な桑園で、和銅5年(712年)、この地方の領主が桑の大木を切り薬師如来像を彫造し、お堂を建てたのが寺の初めといわれる。山号に由来している。
 30分ほど参拝し、下山した。参拝後は、山門から出るものと思っていたが、納経所の方から、歩きの方は、多宝塔の横から裏に出て右に行くと遍路道だと教えられた。

 8:50遍路道の道標。

 遍路道の風景。四国の山は、丸々としている。

 9:00由緒ありそうな神社を見ながら歩く。

 9:30道隆寺が見えて来た。前を歩く遍路は、2日前の雲辺寺から一緒だ。

道隆寺山門

 山門から望む境内。

背の高い鐘楼

本 堂

大師堂

 多宝塔の横から寺の裏に出て遍路道に入った。

第78番札所 仏光山 広徳院 郷照寺                        Top

 10時、道隆寺を下山した。11時前には、丸亀城近くに差し掛かった。近くの高台(駐車場)に上ったりして丸亀城の写真を取っていると台湾の方から道を聞かれた。遍路の寺への道筋である。次の札所まで一緒に歩かないかと誘ったが遠慮されてしまった。
 11:20宇多津駅を通り過ぎ、細い上りの遍路道に入った。すれ違った地元の方から、この道を通ると少し近い。二つ目のお寺ですと言われた。一つ目はたぶん本妙寺であろう。
 11:40郷照寺に着いた。境内には、回遊式の庭園もある大きなお寺である。郷照寺は神亀2年(725年)行基菩薩によって開創され、大同2年(807年)に弘法大師が訪れ、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされたという。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。四国霊場で唯一「時宗」の霊場である。
 12:20下山した。

 10:00道隆寺の裏手から遍路道に出た。

 10:50丸亀市内のアーケード街。シャッターが多く見られた。

 10:50丸亀城を通過した。

 11:30遍路道にあった岸落地蔵院を参拝した。

 本妙寺前を通り過ぎると間もなく郷照寺に着いた。大きなお寺である。

 11:40郷照寺の山門に到着した。

本 堂

本堂の天井画

大師堂

日本庭園

第79番札所 金華山 高照院 天皇寺                         Top

 12:20郷照寺を下山し、天皇寺に向かった。ここで、昨日の善通寺で食卓を囲んだ歩き遍路の方と出会った。郷照寺を出て間もなく、新町の街並みを歩く。古街と銘打って古い街並みが保存されていた。
 13時頃、よっぽどトボトボと歩いていたのか、地元の74歳の方から頑張れと励まされた。13:40八十蘇場(やそば)の清水があり、涼しげな茶店があった。「ところてん」が名物なようだ。間もなく、白峰宮の境内歩いていると本堂の看板があった。雨が降り始めた。
 歩き遍路は、裏手から入ってくるので驚いてしまう。何か不思議な配置になっていたので、納経所の方から詳しく聞いた。鳥居のところには、山門があったらしい。天皇寺は、天平年間(730年頃)に金山の中腹に、行基菩薩によって開創され、弘法大師によって再興されている。その後、崇徳上皇に由来する崇徳天皇社が造営され、明治期の神仏分離令により天皇社が白峰宮になったという。明治期に廃寺となり後に復興したという。
 鳥居から入山するにが正式とのことだ。人は脇鳥居から出入りするのが良いという。そこで、鳥居から出て再入山することとした。納経所の方と話しているうちに雨が上がった。
 善通寺で一緒に食事をし、この日の途中から一緒に歩いた川西市の遍路の方とはここで分れた。この方とは、この日、概ね同じペースで歩いていた。今日は坂出で宿泊し、明日、かんぽの宿に泊まるとのことだ。距離を読み間違えたと言っていた。別の歩き遍路の方も言っていたが、かんぽの宿が良いらしい。14:20下山して参道を下った。

 12:20郷照寺を出ると大窪寺まで88kmの標柱があった。あと10か寺である。

 街並みが保存されている新町を歩く。古街と呼ばれている。

 13:10坂出の市街地を歩く。「もうちょっとやけん 頑張りまい」の看板がある。

 13:40八十蘇場(やそば)の清水。「ところてん」が名物なようだ。

 13:45遍路道から境内に入った。

 白峰宮の境内を歩く。

 白峰宮の鳥居。昔は、ここに山門があったようだ。人は脇鳥居から出入りする。

 境内に「本堂」を示す小さな標識があった。

本 堂

大師堂

第80番札所 白牛山 千手院 国分寺                         Top

 14:20天皇寺を下山し国分寺に向かった。お寺を出て、参道を下っていると倉敷ナンバーの女性の方から「すみませ〜〜ん」と声がかかった。驚いて振り返るとお菓子の入った袋を持っている女性がいた。お接待ですと手渡された。彼女たちも車での遍路のようだ。お遍路さんからお接待を受けた。
 14時半JRの踏切近くに80番札所、81番札所の分岐の表示があった。81番から82番を打った後に80番を打つ方も多いという。かんぽの宿に宿泊される歩き遍路の皆さんは、そのパターンのようだ。
 16時前には、第80番札所国分寺に到着した。梵鐘は創建当時(奈良時代)の鋳造で四国最古の鐘である。強く撞きすぎたのか甲高い音がした。
 国分寺は、天平13年(741年)聖武天皇の勅命により創建されている。本堂は十一間四面の規模を有し、国の重要文化財に指定されている。本尊の十一面千手観音菩薩像は、寺伝に行基菩薩の作、弘法大師の補修とされている。この仏像は、欅の一木造りの立像で御丈丈六と称されているが、実測では、一丈七尺三寸(5.7m)の巨像で本堂とともに重要文化財に指定されている。
 16時半を過ぎたころ、下山し、お寺の横にある「えびす屋」に宿をとった。入口が分かりにくく、うろうろしていると女将が出て来た。洗濯のお接待があり助かった。宿に入ると間もなく雨が激しく降り出した。雨の天気予報にも関わらず、道中に雨は降らず良かった。この日は、27kmを歩いたようだ。
 遍路宿は、食事が楽しい。8名で食事をした。荷物の10kgは重すぎるという。皆さん、水や食料を持っても7kg程度。この季節なら雨合羽は重いので、100円ショップの軽いので十分だという。宿の女将からは、81番札所から82番札所のルートを説明して頂いたほか、色々な昔話をして頂いた。以前は、この辺りは、たくさんの遍路宿があり客を取り合っていたという。国分寺の前で客を引いて、一人5円の小遣いをもらったという。今は、遍路宿一軒のみ、隔世の感を禁じ得ない。鬼無駅までならお昼には着くという。並み足で、ここから、二泊三日で結願らしい。
 ある老遍路夫妻から聞いた夫婦遍路のコツ。宿だけ決めて別々に歩くこと。一方が早いと追いついてきた方は休憩ができなく愚痴になるという。経験談のようだ。

 14:30天皇寺、白峯宮の参道を振り返る。

 14:35左に踏切を渡れば、81番、82番への山に登る。右に線路に沿って歩いて山の麓にある80番に向かった。

 15:20親切な案内板があった。が、この歳では、覚えきれない。

 15:50国分寺に到着した。

 山門の前には、82番札所、83番札所への道順が示されていた。

 広い境内を進む。

 奈良時代に鋳造された四国最古の梵鐘。重要文化財に指定されている。

本 堂

 弘法大師礼拝殿(大師堂)。納経所は、大師堂の中にあった。

 願かけ金箔大師。大師像に金箔をはり願かけする。前の札所は、大黒天だった。

歩き遍路50日目                                              Top

 2014年4月29日(火・祝)この日は、早めに朝食を頂き、6:15には宿を立った。第82番白峯寺、第83番根香寺を打ち、13:30にはJR鬼無駅から大阪に帰った

第81番札所綾松山 洞林院 白峯寺                        Top 

 2014年4月29日(火)祝日。朝5時ごろ、雨の音で目覚めた。風の音もする。大変な日になりそうだと覚悟した。6時前に朝食を出して頂いた。歩き遍路は、早くからの朝食はありがたい。6:15には宿を出ることができた。幸い、この頃には雨は上がっていた。
 宿の前から左に折れて、山に向かって歩く。少しずつ上っていく。7時前ごろ、トイレのある休憩所で左手の道に入り、葛折りの坂を上っていく。330段の階段道もあり、遍路転がしと言っていた難所のようだが、ゆとりを持って上ることができた。暫くすると、県道に出る。この辺りは一本松と呼ばれている。地図の遍路道は、県道を渡るようだが遠くなる。宿の女将の説明に従い、県道を歩くことにした。
 暫く歩くと、雲辺寺の麓の民宿岡田から一緒だった老遍路と出会った。かんぽの宿に泊まったという。かんぽの宿は、噂通りの良い宿であったが、遍路道は、700段の階段を上って大変だったという。
 8:20頃、 81番札所と82番札所の分岐点に来た。ここからは山道を歩き、8:40白峯寺に到着した。山門(七棟門)を通ると巨大な杉に迎えられる。山門は、高麗形式の門の左右に2棟の塀を連ねた珍しい門とのことだ。白峯寺は、青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の5色山のうち、白峯にある静かな古刹で、広い境内には、多くの堂宇があった。本堂の左手には、阿弥陀堂がある。阿弥陀三尊像の後方に、木造の阿弥陀如来小像が千躰奉納されている。また、駐車場近くには国宝の十三重石塔が2基立っている。源頼朝が崇徳天皇菩提のために建てた供養塔である。
 9:20下山し、山中の遍路道を歩いて根来寺に向かった。

 6:50トイレのある休憩所の横を上っていく。

 7:10遍路道からの眺望。

 7:30上り道。

 8:20遍路道。白峯寺まで1km少々の地点。

 8:40白峯寺に到着した。

 崇徳天皇頓証寺殿。ここから石段を上り本堂に向かう。

本 堂

大師堂

 境内には、一代守本尊のお堂がある。ここは、未申年生まれの守本尊、大日如来のお堂である。

 駐車場の近くにある国宝の十三重石塔。

第82番札所 青峰山 千手院 根香寺                      Top

 9:20白峯寺を下山し、山中の遍路道を歩く。雨の予報であったが、幸いにも合羽を着ることはなかった。遍路道に775m(たぶん標高)表示があった。11時前には、第82番札所根香寺に到着した。本堂には回廊があり、万体観音と呼ばれ、奉納された三万三千体の観音像が並んでいる。ここも広大な山寺である。山門には、牛鬼の像があり、目を引いた。
 11:30下山。今回は、5日間で18か寺を打った。自動車道を鬼無駅に向かう。12時ごろ、葛折りの自動車道をショートカットするように遍路道がある。本来の人の往来する道であろう。12時半頃、自動車道の三叉路を右に下りてしまった。ここは、左に少し上り、遍路道に入るのが正解のようだ。地図を見て、後から分かった。三叉路では、自転車用の遍路シールを見て自動車道を下ってしまった。そのまま自動車道を下った。相当に距離をロス(遠回り)したように感じた。
 13時過ぎにJR踏切に突き当たった。ここを今回の区切りとした。直進すれば、83番札所一宮寺、左に線路伝いに歩き、鬼無駅に到着した。
 13:35琴平行きの普通電車に乗り、坂出から、マリーンライナーで大阪に帰った。

 9:20白峯寺から遍路道を歩き根来寺に向かう。

 9:40白峯寺と根来寺の分岐点を通過。

 10:10頃の遍路道。

 10:20頃、お地蔵さんの丁石。18丁=約2km、白峯寺からの距離だろうか

 10:50根来寺に着いた。山門前には、伝説の牛鬼像がある。

 仁王門には、大きな草鞋が奉納されている。

本 堂

大師堂

 境内は、広く綺麗に手入れされている。

 境内は、広く綺麗に手入れされている。

 下山途中の遠望。瀬戸内海が綺麗に見える。

 自動車道をショートカットする遍路道。

 12時半頃、三叉路では、自転車用の遍路シールを見て自動車道を下ってしまった。ここは、左に少し上り、遍路道に入るのが正解のようだ。

 「盆栽通」の名に相応しく多くの盆栽が並んでいた。

 13:10JR鬼無駅に到着した。今回の旅は、ここで区切りとした。

51日目

 前日に神戸港からフェリーに乗り、早朝から高松を歩いた。前回区切りとなったJR鬼無駅から一宮寺、屋島寺を参拝し、八栗寺門前の遍路宿に泊まった。途中、高松市内で以前お世話になった方の家で休憩を取り歩いたが、熱中症と思われる症状で予定通りの歩きはできなかった。

第83番札所 神毫山 大宝院 一宮寺                       Top

 2014年5月31日(土)0:50神戸港からフェリーで高松に向かった。濃霧で遅れたようだが5:45接岸。6:10高松港から高松駅行きの連絡バスに乗車、6:25高松駅到着した。7時前のJR普通列車で前回の区切りとした鬼無駅に向かった。
 7時、鬼無駅から一宮寺に向け歩き始める。5月末だが、暑くなりそうな天気である。7:10ごろ、大きな岩田神社を通過した。8:40頃、田村神社の大鳥居を通過し、8:50には、第83番札所一宮寺に到着した。ここで、高松在住の以前お世話になった方と待ち合わせ、一緒に参拝した。
 一宮寺は、讃岐国一宮である田村神社の別当寺(神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと)であった。境内には、地獄の窯があり、祠に首を入れるとゴーと音が聞こえ境地が開け、悪いことをしていると頭が抜けなくなると言われている。9時半、下山し、近くのご自宅で1時間ほど休憩させていただいた。

 JR鬼無駅から5分ほど歩いた遍路道。

 7:10岩田神社を通過した。

 7:40香東川にかかる沈下橋を渡る。

 8:30田村神社前を通過した。

 8:50一宮寺に到着した。

 仁王門より入山。

本 堂

本 堂

大師堂

 地獄の窯と呼ばれる薬師如来。

第84番札所 南面山 千光院 屋島寺                      Top

 11時、休憩の後、再び屋島に向けて歩き始めた。市街地は、道標が少なく、迷ってしまった。大通の看板は自動車用で方向は分かるが、歩きにとっては、遠回りになる場合が多く難儀する。途中、何度も道を聞きながら、13:10屋島寺登り口に差し掛かる。アスファルト道には、2.0kmの標識があった。5分ほどで急勾配の遍路道に入る。
 14時過ぎに山門に到着。屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。門前には、源平合戦にまつわる多くの掲示があった。
 屋島寺は、鑑真和上過海大師が開創の寺である。本堂の右手には、四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神があり、日本三大狸(佐渡、淡路、屋島)に一つと言われている。
 14:40東門より下山した。納経所に地図があり、納経所の方から「下りがきついですよ。八栗山は、うちより楽ですよ。」と言われた。確かに、営業を停止している観光ホテルの横から厳しい下り坂があった。

 12時前、屋島に向けて高松市内を歩く。アスファルト道は暑い。

 12:30屋島が見えてきた。

 13:20屋島への登り口に差し掛かった。屋島寺本堂へ1,665mの表示があった。平成6年8月実測と書かれてる。

 13:30遍路道の途中にあった加持水。路傍の石碑は弘法大師の筆跡と伝えられている。

 14:00遍路道を上る。

 14:10屋島寺の山門に到着した。

本 堂

大師堂

 狸で有名な蓑山明神。

 屋島合戦図が掲げられていた。

第84番札所屋島寺から第85番札所八栗寺へ             Top

 15時を過ぎたころ、相当にばててきた。熱中症のような気分である。この日の宿を予約した岡田旅館に遅くなる旨の電話を入れた。行き着く自信がなくなってきたようだ。電話でケーブルカーは15分間隔と聞くと安心し、ケーブルカーの利用を考えた。途中、元気な子供たちとすれ違う。下校時間のようだ。この辺りの子供たちは挨拶が気持ち良い。「あっ!!お遍路さんや、握手して」と手を出してきた元気な女の子もいた。16時、「へんろさんの駅」で休憩するが、なかなか立ち上がれない、熱中症に違いない。
 16:40琴電ケーブルカー駅に到着した。乗客は1人。17時、なんとか旅館に辿り着いた。この日、46,300歩、暑い中、27kmほど歩いたようだ。18:20から1時間の夕食。キップの良い女将がいた。盛り沢山の夕食であった。天婦羅は揚げたてを2回に分けて出してくれた。岡田屋旅館は明治期の創業で140年続くという。女将は4代目である。

 この日の遍路は2人。神戸から来た方で窓に向かって並んで食べる。景色を楽しみながらの食事となった。鶯がいつまでも鳴いていた。1日は縁日で、前日の今日は護摩がたかれるという。遠くから太鼓の音が21時ごろまで聞こえていた。
 ケーブルカーの下の道を歩けば、30分ほどとのことである。明日は、荷を預けてケーブルカーで下りて再度上るつもりでいたが、女将から、もったいないと。

 14:50屋島から望む五剣山(八栗山)

 険しい下山道。

 15:20下山道。

 15:50おへんろさんの駅でダウン。暫し休憩。

 16:40ケーブルカー乗り場に到着した。今回は、利用することにした。


52日目                            Top

 2014年(平成26年)6月1日(日) 7時前には、八栗寺を参拝し、半日かけて、志度寺、長尾寺を巡り、今回の区切りとした。途中の志度町は平賀源内の出生地であり、趣のある街並みが残っている。
 あとは、第88番札所大窪寺を残すのみとなった。


第85番札所 .五剣山 観自在院 八栗寺           Top

 この日も暑くなりそうな天気であった。宿に荷を預け、八栗寺を参拝することとした。八栗寺は、弘法大師が、唐へ留学する前に、再度この山に登り、仏教を学ぶ念願が叶うかどうかを試すために8個の焼き栗を植えたという。無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いて八栗寺へ改名したと言われている。それ以前は、五剣山の頂上から、讃岐、阿波、備前など八国が見渡すことができたので、八国寺という寺名だったという。
 6:50入山。本堂、大師堂を参拝し、本堂左側階段を上り、中将坊大権現も参拝した。広い境内である。7時半、下山した。岡田屋で身支度しケーブルカーに沿った参道を下ることとした。門前の宿は、ここ1軒。向かいの旅館は廃業したとのことだ。参道を下ると、続々と人が上ってきた。参道はコンクリートで車も通る道、多少勾配はきついが、元気ならば上るのに問題ない道だった。

歓喜天の鳥居の先に山門が見える。6:50入山。

本 堂

本堂の近くにある歓喜天の社殿。

中将坊大権現

大師堂

多宝塔

 境内に掲げられた「1日朝参りの会」の案内。

境内から望む五剣山。

 境内に植えられている菩提樹。

 門前にあるお迎え大師像。その先に屋島が見える。

第86番札所 補陀洛山 志度寺                Top

 八栗寺からケーブルカーに沿った参道を下山し、8時には、ケーブルカー登山口に到着した。下りで30分は、かかり過ぎのようだ。8:10源氏池に沿って歩き、県道145号線と思われる道を歩いた。歩道のある道路で歩きやすい。8:40県立高松中高等学校を越えると志度湾が見えてきた。風があり気持ちが良い。暫くすると、遍路の赤シールが出てきた。遍路道に入ったようで安心した。
 8:35琴電踏切を渡り、国道11号線を左折すると目の前に線路、たぶんJRだろう。地図で確認していると、線路向かいのたばこ屋のおばあちゃんが「あっちあっち」と方向を示してくれた。ありがたいものだ。9:10頃、道の駅「源平の里むれ」を通過した。
 9:35平賀源内旧邸通過、9:40志度寺奥の院地蔵寺を参拝した。鐘には「かんしやの鐘」と記されていた。
 10時、志度寺に到着した。歩いてきた源内通りの突き当りなので参道だったのだろう。大きな山門である。五重塔が目を引く。平賀源内の墓もあった。書院にも上がり、わずかだが落ち着いた時を過ごした。納経所は広く、お接待所があり、冷たいお茶とお菓子を頂いた。10:50下山した。門前には、長尾寺7.4kmの標識があった。

 8時ごろ、八栗寺の参道を下る。

 8:10源氏池を通過する。

 9:40平賀源内旧邸を通過する。

平賀源内像

 9:50志度寺奥之院、地蔵寺を参拝。

 仁王門、金剛力士像共に国の重要文化財に指定されている。

五重塔

本 堂

大師堂

 書院から石庭を望む。


第87番札所 補陀洛山 観音院 長尾寺          Top

 10:50志度寺から長尾寺に向かった。1時間ほど歩くと長尾寺奥の院玉泉寺があり、参拝と小休憩をした。境内には、本堂のほかに萬願大師堂があった。このお寺の鐘の音は柔らかいと感じた。地元の方によれば、彼岸頃からGWは、この辺りを歩く人が多いという。近くにうどん屋が見えたが車が一杯のため通過した。12時半頃、遍路休憩所があり、お接待のお菓子を頂き、暫し休憩した。無人であるがきれいに整備されている。
 12:45長尾寺に到着した。小さく纏まった感じのお寺である。本堂前は広々としていて駐車場になっている。今回は、長尾寺で区切りとして帰ることとした。この日は、26,500歩、16kmを半日で歩いた。
 13:40には、下山し、歩いて5分ほどの琴電長尾駅から、高松築港を経由し、JR高松駅から、マリーンライナーで帰宅した。とにかく暑い日だった。天気予報では35℃の真夏日、たぶんそのぐらいにはなっていただろう。今回の旅でも多くの方と出会い、お世話になった。人との関係が嫌になって旅に出て、人と触れ合うと嬉しい。何かが違うのだろうか?!



 10:50志度寺から長尾寺に向かう。長尾寺まで7.4kmの表示があった。

 11:50長尾寺奥の院、玉泉寺を参拝する。

 玉泉寺の境内にあった満願大師堂。

 12:20ひと休み。お接待のお菓子、みかんを頂いた。

 12:50長尾寺に到着した。

 門前にある経幢。鎌倉時代に経文を埋納保存したもので重要文化財に指定されている。

 広い境内。駐車場になっている。

本 堂

大師堂

 14:00今回は、長尾寺で区切りとし、琴電長尾駅から帰途に就いた。


53日目

 2014年(平成26年)6月14日、前回区切りとした長尾寺から結願寺の第88番札所大窪寺を打ち、第1番札所霊山寺に向かうために白鳥温泉に宿泊した。
 今回は、前日の深夜フェリーで神戸港から高松港に向かい早朝から歩くことができた。


第88番札所 医王山 遍照光院 大窪寺         Top

 四国88か所の結願寺である。徳島県の県境に近い矢筈山(標高782m)の東側中腹に位置する。第87番札所長尾寺からは、約13kmである。
 途中、前山ダムがあり、近くには、「おへんろ交流サロン」ある。そこで、「遍路大師任命書」を発行して記念のバッチを頂いた。前山おへんろ交流サロン付近から、東への女体山ルートと西への花折れ峠ルートがある。女体山コースの方が距離は短いと思われるが険しい上りが続いた。

 結願寺で多くの遍路が金剛杖などを大師堂脇の寶杖堂(ほうじょうどう)へ奉納している。また、境内には、広島の原子爆弾の火を灯している「原爆の火」の塔があった。

 前日に乗船したフェリーの寝室。狭いが快適であった。

 神戸から高松港に向かう。

 琴電で長尾駅に向かう。

 7:10前回区切りにした長尾寺から結願寺の大窪寺に向かう。ここから、12.6kmである。

 7:40一心庵通過。小豆島からの接待講などの出張接待があった所である。

 すでに、遍路が歩いている。

 女体山コースで大窪寺に向かうことにした。

 8:20「へんろ交流サロン」で「遍路大師任命書」を頂いた。

 9:20頃の山道。

 10:30女体山の登り口。山頂まで、1,138m

 11:10険しい山道を上る。

 11:20女体山山頂。標高776m。

 12:00第88番札所大窪寺に到着した。

本 堂

大師堂

 広島の原爆の灯が灯っていた。

 寶杖堂。結願で奉納された杖が納められていた。私は、次の遍路旅の為に持ち帰った。

 山門、高野山の大門を模して造られたという。

 門前の茶屋で冷たい「たらいうどん」の昼食、元気が出てきた。

 13:10大窪寺を後にして、今日の宿、白鳥温泉に向かう。白鳥温泉まで11km程である。

 14:10道路の脇に牛が繋がれていた。

第10番札所切幡寺に出て第1番札所に向かう遍路も多いという。

 14:10八丁坂峠を越える。

 16:00白鳥温泉に到着した。


54日目

 2014年(平成26年)6月15日、第88番札所大窪寺で結願した後、白鳥温泉に宿泊し、第1番札所霊山寺にお礼回りの参拝をした。歩いて、四国を一巡したことになる。第88番札所から第1番札所への道は、第10番札所切幡寺から逆に歩き向かうルートをとる遍路も多いようだ。
 なお、お礼参りを第1番札所霊山寺とするか高野山とするかについては諸説あるようだ

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 8:10白鳥温泉を立ち第1番札所霊山寺に向かう。

 10:10遍路道

 11:50大坂峠の道に差し掛かる。


 12:40大坂峠への遍路道

 14:10自動車道で峠を越える。

 15:30大麻比古神社の山道を下る。

 大麻比古神社から第1番札所霊山寺に向かう。

 15:50霊山寺に着く。

 17:20鳴門西バス停から高速バスで帰途についた。


日を改めて高野山へお礼参りに向かった。

四国歩き遍路の旅